2006年10月7日土曜日

山本東次郎 囃狂言「獅子」について

この曲の見どころは、舅(しゅうと)から所望された獅子の舞を聟が舞う場面。能『石橋』や『望月』の象徴的な「獅子」に比べ、狂言では写実的な型が多くあります。



若獅子が自慢げにたてがみを振り立てる「たてがみ巻き上げ」、親獅子が子の増長を戒め、谷に蹴落(けお)とす「谷落とし」、必死に這(は)い上がってくる「谷上がり」、登り切って汚れた髪を清流で洗う「髪洗」。 



親獅子が子獅子を谷底へ落とすのは、子の勇気を試すため。父は能楽界でも有名なスパルタ親父で、私や弟たちは稽古のたび、どれほど蹴落とされたか知れません。負けるものかと這い上がり、また挑戦する、その繰り返しの毎日でした。 今になって思うのは、それは必ず這い上がって来てくれると信じているからこそできたこと。親と子が深い愛情と信頼で結ばれていなければ、ただの虐待です。我が子を真に自立させるため、心を鬼にして厳しい試練を与えねばならない親こそ、より深く大きな愛情と勇気を試されているのです。(http://www.tokyo-np.co.jp/00/mei/20061007/ftu_____mei_____002.shtml)

能の「石橋」は見たことありますが、囃狂言の「獅子」というのはありません。この文を読むと長唄「連獅子」の踊りにより近い気がします。観てみたくなりました。



<親と子が深い愛情と信頼で結ばれていなければ、ただの虐待です。>



今、社会問題になっている「虐待」のことを考えると親子の信頼関係が薄くなっているのでしょう。又学校の教師は厳しく生徒に罰を与えると、すぐ訴えられてしまいます。



中学生、高校生にこの狂言を見せて欲しいですね。きっと何か心に残ると思います。