2006年10月19日木曜日

上村以和於の今月の一押し(十月)

よく解説書に、荒事は七つ八つの子供の心で演じろと書いてある。しかし実際にこれまで見た誰のどんなに素敵な五郎にせよ、それを心得として演じていることは察しられても、実際に子供そのものの躍動感として感じられたという五郎は見た記憶がない。壮年の演者の立派な役者顔に、剥身の隈を取った五郎の顔が重なって、渾然とした風格が出来上がる。その見事な風格を、われわれは愛でたりほめたりしてきたのだった。海老蔵の五郎との一体化というのは、それとは違う。もちろん海老蔵も、あの顔である、近ごろ頓にいやまさるあのますらをぶりの風格である、見たさまも風情も立派な五郎には違いはない。しかしあの三階席までも届かせる共鳴のオーラは、それとは別の発現体から出るものだ。海老蔵のことばかり言って、菊之助のことはちっとも言わないではないかと言われそうである。そうではないのだ。規矩規範からいつはみ出すかとハラハラさせる海老蔵を、端正でエレガントな菊之助が支え続ける、実はそのバランスの絶妙さにこそ、場内の共鳴の根源があるのである。(演劇評論家 上村以和於オフィシャルサイト)

助六の時にも驚いたが等身大の五郎がそこにいる、五郎のヤンチャがそのまま重なる。



歌舞伎十八番というお家芸が彼の流れる血汐に共鳴するように感じられます。