2012年2月9日木曜日

渡辺保の劇評 2012年2月 新橋演舞場

というよりもただひたすら振りに忠実に、精一杯体を使って踊っている。振りと唄の文句一杯に体を使い切っている。その結果、そこに情緒的な曖昧さがなく、振りの楷書、体の動きの確実さが浮かび上がって、たっぷりと余裕のある、実のある舞台になっている。私はそこに感心もしたし、新勘九郎の踊りに対する考え方を見た。そしてそれこそが新勘九郎の余人とは違う「新しい可能性」であると思った。
(2012年2月新橋演舞場)
新勘九郎の批評が出ました。特に初々しい訳でもなく、華やかな出でもないのに、節度ある大奥に務めるお小姓になっていました。祖父芝翫が襲名の時にやはり鏡獅子を踊りました。その素晴らしいのに驚きましたが、きっちりと身体を使って踊りこんだ弥生でした。勘九郎は初役の時に芝翫に教えてもらったようです。おじいさんの確実な踊りを見事に体得したのではないでしょうか。見終わった後の清々しい感じ、他の人にない良さです。