2013年5月13日月曜日

江戸歌舞伎 継承に尽力をつくされた河竹登志夫さんを悼む(織田紘二)

新装なった歌舞伎座の顔寄せ手打式(てうちしき)に出席し、こけら落とし公演の狂言名題を読み上げ、狂言作者河竹家の宗主として務めを果たされた上での見事な最期だったとはいえ、やはりもっと長くこの世にあって歌舞伎の今を見届けていただきたかった、との思いが強い。(東京新聞:黙阿弥のひ孫 河竹登志夫さんを悼む 江戸歌舞伎 継承に尽力:伝統芸能(TOKYO Web))
五代目歌舞伎座の開場式は映像に残りますから、この後ずっと河竹登志夫さんの存在は人々の心に残っていくと思います。

明治の演劇改良運動から歌舞伎を守った黙阿弥。河竹家の養子として大正昭和の激動期に歌舞伎本来の姿を求め続けた父繁俊、そして登志夫氏と代々の河竹家なくしては、今日の歌舞伎は存在しなかった、と言っても過言ではないだろう。先生の著書「作者の家」や「黙阿弥」にその間の詳細は尽くされている。  先生の学問は、比較演劇学という新しい分野を切り開いて大成したことで、その成果は屹立(きつりつ)している。また戦後のほとんどの歌舞伎海外公演に文芸顧問として同行され、「歌舞伎は旅する大使館」というキャッチフレーズも先生の名訳である。(東京新聞:黙阿弥のひ孫 河竹登志夫さんを悼む 江戸歌舞伎 継承に尽力:伝統芸能(TOKYO Web))
黙阿弥の書いた多くの狂言がこれからも継承されていくように務めなければいけません。江戸歌舞伎の伝承は昨今むずかしくなって来ていると、三津五郎さんが言っておられました。魅力ある黙阿弥の作品がずっと演じ続けられるよう願わずにはいられません。