2016年2月22日月曜日

清新な「棒しばり」犬丸 治 「テアトロ」2015年10月号

歌舞伎座の「納涼歌舞伎」は、昼夜に「十世坂東三津五郎に捧ぐ」と添書きして、今年二月亡くなった故人ゆかりの追善狂言が並ぶ。取り分け第一部「棒しばり」が清新だ。勘三郎・三津五郎が得意とした次郎冠者・太郎冠者を、遺児勘九郎・巳之助の顔合わせで勤める。それは同時に、大正五年初演以来の、六代目菊五郎・七代目三津五郎の「家の芸」の伝承でもある。 これが初役となる巳之助は、松兵衛に「太郎冠者あるか」と呼ばれ「ハアー」と前に進むイキ、勘九郎は下手揚幕から「何じゃ召すか」と出る愛敬に、充実した気組を見る。似た役柄になりがちだが、太郎冠者は次郎冠者を陥れようとする兄貴格の小ずるさ、次郎冠者は機敏さと、色合いの違いを滲ませているのが良い。 単に踊りの巧拙だけでは処理し切れぬ狂言だが、例えば縛られて酒蔵に忍び込んでの、マイムによる二人の描写で並ぶ酒壺と酒の香が匂い立つ。酔いが廻っての太郎冠者の「御簾の俤」のくだりは、巳之助が後手に縛られながら弾むように舞う。勘九郎の次郎冠者は「東からげの汐衣」で酔いに眼が座りながらも、身体を大きく使った動きのうちに、月夜に打ち寄せる波が鮮やかに浮かぶ。「酒のさの字は」の連舞は、二人のイキが良く合って、興が乗っていくさまを的確に見せた。回を重ねていくうちに、例えば両者顔を合わせて「ウフフ」と打ち笑む呼吸など、さらに練り上げられていくだろう。弥十郎の曽根松兵衛が狂言舞踊らしくおっとりとして良い。思えば一昨年八月歌舞伎座で、三津五郎が次郎冠者で、勘九郎の太郎冠者に父の持ち役を写し、今また勘九郎がその呼吸を巳之助に写しているわけで、芸の伝承の確かさを実感する(2015年8月劇評 「清新な『棒しばり』」 犬丸治)
犬丸氏の昨年納涼歌舞伎の批評です。

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