2020年1月17日金曜日

渡辺保の劇評 2020年1月 浅草公会堂

この正月、感動的な二つの秀作に出会った。浅草公会堂夜の部 「太功記十段目」の歌昇の光秀と、次の「七段目」の巳之助の平右衛門である。
この光秀は一昨年だったかの「関の扉」に続く歌昇の一世の当たり芸であり、 未完成ながら今日吉右衛門のほかにはいない光秀である。
こ の平右衛門一番の出来は、「それを功に連判の」のあとの「小心者の哀しさは」 と右手の片袖を持って泣く処である。 だれがやっても同じように見えるが、うまい下手はともかくも巳之助には、そ の心情、朴訥、誠実、正直一遍さ溢れて、越えられぬ階級の壁の厚さ、それゆ えの絶望の苦しさが胸を打つ。こういう平右衛門は独特である。  したがってとかく通り一遍で浮つく「お供が叶った」がこの人間の全存在が 掛かった悦びであることが客席に伝わって、思わず泣かされる。巳之助の「毛 抜」の粂寺弾正以来のヒットである。(2020年1月浅草公会堂)
光秀は小さいのに大きさを感じました。タッパがあったらなあ~と思わずつぶやいてしまいましたが、気にならなくなるように成長してくれるでしょう。
巳之助・米吉の兄妹には泣かされました。純朴で温かみある勘平さんでした。