「能のように弁慶の勢いに負けて見逃すやり方もありますが、私は実父から歌舞伎の情の世界を大事に演じるやり方を教わりました。弁慶が情を表に出すのではなく、お客さまが見ていて、見逃してやればいいのにと思わせるようにと」。(東京新聞:<歌舞伎>『勧進帳』の弁慶 中村吉右衛門 実父から学んだ 情の世界大切に:伝統芸能(TOKYO Web))
人気狂言の「勧進帳」、弁慶を演じる役者さんによって印象が変わりますが、播磨屋はじっくりハラのある演技で観客を魅了してくれると思います。
「能のように弁慶の勢いに負けて見逃すやり方もありますが、私は実父から歌舞伎の情の世界を大事に演じるやり方を教わりました。弁慶が情を表に出すのではなく、お客さまが見ていて、見逃してやればいいのにと思わせるようにと」。(東京新聞:<歌舞伎>『勧進帳』の弁慶 中村吉右衛門 実父から学んだ 情の世界大切に:伝統芸能(TOKYO Web))
人気狂言の「勧進帳」、弁慶を演じる役者さんによって印象が変わりますが、播磨屋はじっくりハラのある演技で観客を魅了してくれると思います。
25年前に勘三郎が当時の松竹会長に直訴してこんぴら大歌舞伎が実現した経緯もあり、16年ぶり4回目の出演に「最初のチャンスをもらった金丸座に帰ってこられてうれしいね」。(asahi.com(朝日新聞社):勘三郎16年ぶりこんぴら大歌舞伎に意欲 - 日刊スポーツ芸能ニュース - 映画・音楽・芸能)
こんぴら金丸座での歌舞伎公演はすっかり定着しましたが、第一回目を実現するには勘三郎等の熱心な働きがあったからだと思います。随分久々の出演に意欲を燃やしています。16年前は二人の子供も小さかったでしょうが、今回は立派に成長した彼等との共演で、益々熱い舞台になることでしょう。
コメント覧に書き込んで下さったまるさんのご指摘のように、勘三郎の名だけでは誤解を招きますので、訂正させて頂きます。
勘三郎等・吉右衛門、沢村藤十郎、勘三郎の三人http://www.town.kotohira.kagawa.jp/kabuki/ayumi/index.html
こんぴら歌舞伎のHPに当時のことが詳しく書かれていますので、ご覧下さい。
「同じ作品を何度やっても、また悩む。あの個所はもっと考える必要があると思うと、夜も寝られない。でも、好きな浄瑠璃だから楽しんで、もう一度苦しみたいと思う」 衰えることのない意欲を支えるのは、1996年に九代目綱大夫を襲名する際、作家で元文化庁長官の三浦朱門氏から贈られた「芸を継ぐことは、名前ばかりではなく、命を継ぐこと」という言葉だ。(竹本綱大夫「鑓の権三重帷子」 : 伝統芸能 : 伝統芸・舞台 : エンタメ : YOMIURI ONLINE(読売新聞))
太夫の語り次第でよしあしが左右されるとも言われていますが、並大抵のことではないと思いますね。近松の詞章に耳を傾けて聞いて下さい。
浅草歌舞伎があったからこそ、中堅として歌舞伎を支える今の彼らがあるといってもいいだろう。 かつて若手修練道場と言われた東横ホールの機能がここに受け継がれている。 飛び上がって大役に体当たりする姿を見るのも歌舞伎の楽しみのひとつ。(河村常雄の劇場見聞録 : エンタメ : YOMIURI ONLINE(読売新聞))
かつての三之助が東横ホールで大役をどんどん演じていた頃、せっせと通ったものです。今度はなんの役を演じて欲しいなぁと楽しみでした。背伸びして初役に挑む訳ですが、その時のピカッと光る何かを感じワクワクしました。
今の浅草公会堂が同じような役目を果たしていると思われます。力いっぱい役に挑戦する若手を好意的に見てしまいます。ここでの経験がいつか大舞台で演じる時の礎になることでしょう。
それが、勘太郎と亀治郎のを見ていると、全然違う劇に見えてくる。なにも役者と役との実年齢が近いからいいというのではない。勘太郎にしても亀治郎にしても、当然ながら、若くともプロフェッショナルな役者として、ちゃんと芸として演じている。決してお生ではない。それにもかかわらず、彼等の若さが、老名優たちのなし得なかった、この戯曲本然の姿を現わして見せたのである。(演劇評論家 上村以和於オフィシャルサイト)
勘太郎の茂兵衛を一押しに選んでいます。若くともプロ、ただ若さの華だけではなく、シンのある演技で役に挑み、良いものを見せていると思います。
番外で、手打ち式に沢村藤十郎の姿をみたと書かれています。現歌舞伎座で何か彼のお芝居が見られるかもしれませんね。
権太は、今までで一番共感できる役という。「悪いやつだけど根がやさしい。だから冷たく当たる。その辺が似てる。おやじのことを思ってるところも」((asahi.com(朝日新聞社):市川海老蔵、奮迅の十八番 新橋演舞場「初春花形歌舞伎」 - 歌舞伎 - 舞台)
私は三役中、一番自然態で演じていると思っていましたが、本人も今までで一番共感できる役と言っています。素で演じられる強味ですね。これからもっと磨いて一番の権太役者になって欲しいですね。
歌舞伎では、長唄との掛け合いになります(三味線は入らない)が、今月の上演に拠って以下に書いてみます。
翁 『とうとうたらりたらりら たらりあがりららりとう』
長唄『ちりやたらりたらりら たらりあがりららりとう』
翁 『鶴と亀との齢にて』
長唄『幸い心にまかせたり』
翁 『とうとうたらりたらりら たらりあがりららりとう』
長唄『ちりやたらりたらりら たらりあがりららりとう』(梅之芝居日記)
詳しく書いて下さっているので、ご紹介します。
富十郎さんだから長唄と掛け合いでも、素晴らしいのでしょうね。声の調子や貫禄も伴いませんと、すてきに聞こえません。
正月序幕は「三番叟」の中でも一番格式のある長唄「寿三番叟」を富十郎兄さんの翁で、三番叟を品格と格式を重んじ、軽やかに舞うように心がけながら五穀豊穣を願う舞を舞わせていただいております。(baigyoku.com ひとりごと)
年頭のご挨拶と今月のお役について書いておられます。
〉品格と格式を重んじ、軽やかに舞うように心がけながら〈
本当にこのまんまの印象でした。
勘太郎の「土蜘」がいい。 初め花道へ出たところの横顔の無気味な凄味といい、本舞台へ来て「掛下石上の」と、左手の袖を立てて上手の頼光をジッとうかがう目の光りの凄さといい、見ていてゾッとするような凄味を持っているのは、この若さで大したものである。研究の成果、大いに感心した。この人近来のヒットである。(2009年1月浅草公会堂)
無気味な凄味が命のような「土蜘」なので、上出来です。まだ見ていないので楽しみです。
富十郎の翁は、冒頭の「とうとうたらりら」から長唄の鳥羽屋里長との掛け合いが、音吐朗々。まことに正月らしいすがすがしさである。(2009年1月歌舞伎座)
一年の初めにふさわしい一幕です。翁はとかく目立たない場合がありますが、動きのある三番叟より存在感がありました。三番叟の梅玉、千歳の松緑、菊之助のバランスがとても良く、全体に格と品が備わった御祝儀曲であります。
時蔵の十六夜は、以前海老蔵に襲名する前の新之助最後の舞台で、新之助の清心に十六夜を務めたことがありますが、その時は19には見えませんでした。相手が若いせいでしょうか?今回はとても綺麗で可愛い十六夜でした。菊五郎の相手だからか、数年前より若さが出せるようになったのか?白蓮の吉右衛門も大変良く、通しで見たくなりました。求女の梅枝が清心と渡りセリフするところ、見劣りせず、堂々としていたので驚きました。着実に成長しているのがうれしいです。
「鷺娘」の幕開きの雪音が素晴らしい。こればかりはテレビではダメです。身体で感じないと。玉三郎の白無垢のシルエットが幻想的でステキです。引き抜きが見事ですが、「袖傘や~」でピンクに変わった時、何ともかわゆらしくきれいでした。3階からだとよく分かりませんが、通常の雪より細かく見えましたが、量が多いだけでしょうか?フィギュアスケートのように雪の舞台をクルクル回って舞っているようにみえました。
(昼の部観劇)
お家芸の歌舞伎十八番の内「象引」を“復活披露”する團十郎は、「ご心配をおかけしたが順調な経過をたどり、舞台に出られるのは夢のよう。大変珍しい狂言なので、皆さんに楽しんでもらえるのでは」と、うれしそう。(東京新聞:『成田屋』父子、違う舞台で競演:伝統芸能(TOKYO Web))
ニコニコ顔でご挨拶しておられる團十郎さんの姿が目に浮かびます。やはりこの方の存在は大、客席もうれしくてニコニコ!
息子も、歌舞伎十八番の復活「七つ面」を務めています。他のお役も初役で大役ばかり、無事千秋楽まで無事故で務めて欲しいです。
◆第一部 講演 野間修平
◆第二部 対談 中村吉右衛門・野間修平
京王ニュースに出ていましたので、お知らせいたします。
昨年、富十郎さん、三津五郎さんと講演を聴く機会に恵まれ、貴重なお話や苦労話などを伺い、益々歌舞伎が面白くなりました。吉右衛門さんの芸談もきっと素晴らしいと思います。平日の午後ですので無理な方もいらっしゃると思いますが、参加費もお安いので興味のある方は応募してみて下さい。
この權太は、自然に見えて、芝居を軽く運んでいる。軽くしようとして、たとえば「ねえぞ、ねえぞ」などちょっとぞんざいにさえ見えるのが困るが、それでも芝居運びが自然である。吉野のどこにでもいそうな無頼漢。それも凄味ながらもどこか小心で臆病で女房子供には結構つらく当って、バクチに心を奪われている男の哀愁がよく出ている。(2009年1月新橋演舞場)
忠信、知盛、權太と三役手がけた海老蔵ですが、私は權太が特に「木の実」の權太が一番かと思いました。ちょっと不良だが、実は性根は情があって良いやつ、という性格が無理なく役に入れるのだろうと理解しました。何気ない演技は若い内はどさらかと言うと苦手なものですが、海老蔵はそこに自然な良さがあります。六段目の勘平を見た時も、花道の出からおかやと話すあたりが、実に自然で現代劇に登場する娘婿のようでした。「すしや」後半のセリフなど、まだまだですが、初役としては及第でしょう。
鏑木清方が十五代目羽左衛門の若衆役は首をちょっとかしげるその具合がいい と語っているが、その具合はこうもあったろうかと思う美しさ。ことに諸肌ぬ いでトンとギバになって刀を振り上げた時の首のふり方は見事だった。
「知らざあ言って聞かせやしょう~」 の名セリフも十五代目羽左衛門系だと感じました。華やかでパァーと明るく、良かったです。立腹の黒の着付けがとても似合って、ステキでした。
「弁天」も回りがもう少し良いと全体に盛り上がったと思うのですが、惜しいです。
「七つ面」はかなり工夫されていて、面白かったです。親子で2劇場で十八番の復活とは、市川家の意気込みを感じます。
南北らしいしゃれた作品、演出をみがいて再演を期待したい。国立劇場復活狂言のヒット作の一つである。(2009年1月国立劇場)
「象引」で團十郎が6ヶ月ぶりに復帰、元気な姿を見てうれしくなりました。理屈は抜きで、おおらかで張り子の象もいっぱしに加わり、楽しい一幕でした。
「十返りの松」は成駒屋一門揃ってのお目出度い舞踊ですが、福助さんの息子の児太郎君だけ上がっていないのは気になりました。この踊り、人数が多すぎでやたら入れ替わることが目につきました。幕切れ、二畳台に芝翫がのって決まるところの格好いいこと、これだけ見ればこの踊りは満足と言って良いほど、ステキでした。箏曲でもあり、お正月らしく、お目出度い、と感じればよろしいと思います。
南北の復活狂言、最後まで見られなかったので分かりませんが、巧妙なパロディが活きて、面白い出来になったと思います。
私はただいま竹本連中太夫の序列では4番目でありますが、先輩3人は70歳を越しておいでです。お元気に舞台をお勤めですが、だんだん無理はできなくなってきている状況。後輩に熱心な方もおいでですが、いわゆる「出し物」「切場」を語れる方は限られてきています。自身が毎月の舞台を勤めるとともに、後継者育成ということも考えねばなりません。(乍憚口上)
葵太夫さんのご挨拶です。本当に竹本の人数が少なくて危機感を感じます。働き場所のない若い方におすすめしてるのを読むと、切実な事情であることが分かります。短期間でものになるものでもなし、難しいですね。
「象引」
大伴大臣褐麿初めての公家悪です。公家悪というと時平や入鹿を思い浮かべますが、この大伴褐麿は、姫に横恋慕し、象を引き合うという動きのある役ですので、公家悪とはいいながらも若々しく演じ、十八番物の明るさに繋げられれば、と思っています。
「誧競艶仲町」
私が演じる与兵衛は、前半では遊女に振られる田舎侍の野暮さを、後半では振られた相手に信頼される篤実な人間性を求められる役で、その両面をしっかりと表出して、納得のできる人物として造形したいと思います。(今月のスケジュール)
NHKの生中継を見たかぎり、大変楽しい舞台ですね。團十郎さんのかわいいこと、若いこと、うれしくなります。三津五郎さん初めての公家悪!人間味があって立派で良い出来です。象もとてもよろしい!
南北の若い時の作品のようです。お正月14日から16日までのお話とか、ゆっくり見ましょう。
また夜の部の最後には源氏物語千年記念ということで、「源氏物語」の新作「夕顔の巻」を上演しました。これは初めてでございましたが舞踊の「葵の上」として六條御息所を踊らせていただいておりますので、役作りも滑らかに入っていけたような気がいたしました。(坂東玉三郎ページ)
新年のご挨拶と昨年の舞台のことなどを書かれています。
南座の源氏はどんなのかしらと思っていましたが、玉三郎さんの説明でわかりました。海老蔵さんの光源氏に玉三郎さんの夕顔、京の人達は良い気分で帰られたことでしょう。