日生劇場歌舞伎座がない間、松竹はいろいろな小屋での上演を試みていますね。音羽屋の若手二人が中心という企画。今年5月大阪松竹座で菊之助初演の玉手御前が評判になって、東京で演って欲しいと思っていたのでうれしいです。菊五郎は合邦に回って、親子で演じることになります。肝心の俊徳丸と浅香姫が誰なのか分かりません。
十二月大歌舞伎(歌舞伎美人(かぶきびと) | 日生劇場 十二月大歌舞伎の演目と配役)
群舞が圧巻な達陀をリサイタルに引き続き松緑が踊ります。師走の舞台を楽しませてくれます。
日生劇場歌舞伎座がない間、松竹はいろいろな小屋での上演を試みていますね。音羽屋の若手二人が中心という企画。今年5月大阪松竹座で菊之助初演の玉手御前が評判になって、東京で演って欲しいと思っていたのでうれしいです。菊五郎は合邦に回って、親子で演じることになります。肝心の俊徳丸と浅香姫が誰なのか分かりません。
十二月大歌舞伎(歌舞伎美人(かぶきびと) | 日生劇場 十二月大歌舞伎の演目と配役)
法然上人800年大遠忌 記念昨今有名寺院での奉納歌舞伎が多いですが、京都知恩院で法然上人800年大遠忌記念と銘打っての公演があります。十月国立に出演の團十郎、藤十郎が中心です。10月下旬ですと紅葉には早いですが京都の秋を楽しみながら知恩院に足を運ぶのも一興でしょう。
総本山知恩院奉納歌舞伎(歌舞伎美人(かぶきびと) | 総本山知恩院奉納歌舞伎の演目と配役)
寶山左衛門さん死去(asahi.com(朝日新聞社):寶山左衛門さん死去 88歳、長唄鳴物の人間国宝 - おくやみ・訃報)囃子方のお家に生まれ、小鼓、太鼓から笛を専門に活躍されました。福原百之助から寶山左衛門を襲名され、長唄の演奏会では欠くことのできない存在でした。私は40年近く長唄の演奏会東音会で拝見しておりました。笛を持って構えた姿が実に神々しく聖のようでした。中でも三味線のメロディーに縫うように笛の音を聞かせた「時雨西行」は最高でした。ご自身の最後のリサイタルを紀尾井小ホールで聞きました。「助六」が素晴らしかったです。この時ご一門の方が皆成長され、自分のあとをしっかり託せると安堵されていらしたと思います。家元の座を孫の賢太郎君に譲られ、襲名披露の演奏会の最後にご挨拶をなさいました。この舞台が最後になってしまいました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。良い音色を聞かせて頂き有り難うございました。
清新にして陰惨、まことに上出来のお岩を見た。(東京新聞:<評>上出来の勘太郎お岩 新橋演舞場「東海道四谷怪談」:伝統芸能(TOKYO Web))勘太郎のお岩が好評でず。こちらもご覧下さい。
下手へ白湯を汲みに行ってから薬を飲む具合はしっかりおぼえていい。毒が体に廻ってくる具合はまだ未成熟であるが、この前半の丁寧な芝居、イヤ味がなく、しっかりした芸が第一である。(2010年8月新橋演舞場第三部)勘太郎初役のお岩様が誠に良い出来です。歌右衛門のお岩様が脳裏に刻まれていて、誰が演じても「違う、違うこんな笑いを取るのではない。」と満足していませんでした。しかし、今回の勘太郎のお岩様は実に嫌みがなく、産後の若い美しい武家の女を演じていて良かったです。何というか顔容姿が涼しげで、見ていて暑気が飛んでいく!感じです。海老蔵の伊右衛門は色悪申し分なし、白献上に黒紋付きの着流しがこんなにステキな人はいません。しかし、セリフが良くないです。変に作らず素直に言えば良いのにと残念です。
多賀之丞は障子の桟を指でさわって「これで掃除をしたのかい」といっていたが、この人は畳の上のゴミを拾っている。どうでもいいように思えるが、畳の上のゴミを見逃した若い衆はバカに見えるし、ゴミを拾うお今は年寄りじみている。(2010年8月新橋演舞場第二部)このお芝居の面白いのは序幕の設定で、あの二階から下の様子、近所の気配がわかり、異常に切迫した空気、緊張感が伝わってくるのが重要です。これが乏しかったのは、残念ですが、橋之助は将来この役がはまり役になるだろうと言われています。多賀之丞、田之助と見ています。田之助も障子の桟を指でさわっていました。急に色気で迫るところなど、女の弱さ、悲しさが滲み出ていましたね。(第二部未見)
まず竹本の「三芳野の山また山」という新しい詞章?のオキ浄瑠璃があって、「恋と忠義」は「恋と」が清元、「忠義」が竹本という不思議なかけ合いである。諸事変則の道行である。それでもいつもの通り静が花道から出て、いつもの振りがあって本舞台へ来る。なにしろ海老蔵が鳥居前の狐隈から白塗りへ変わるつなぎのために、静一人で万歳の件りをちょっと踊って忠信の出になる。 忠信が本舞台へ来て二人で万歳の後半を踊る。その最後の「蛤早き貝合わせ」で形だけは「女雛男雛」の二人がよりそったいつもの形になる。そのあといきなり戦物語に飛ぶという新版。外国人には短くていいだろうが、見慣れ聞き慣れたファンにはいつもの見どころが全てカットで物足りない。私もいつもと違う詞章に疑問を感じ、清元のHPよりメールで問い合わせ致しました。すぐにお返事を頂きましたので、お伝えします。先ず「置き」を入れたことは、時間の調整の為のようです。「鳥居前」から幕にしないで「道行」へ変わるので、海老蔵の拵えをする時間が必要になります。それで静に時間をかせいでもらうという訳です。外国公演がこのように行われたのでしょうか?普通に休憩を入れていつもの「吉野山」を踊って欲しかったです。「万歳」を引用したのかは確かではありませんが、振付の方の作詞作曲だそうです。振付はどなたでしょうか?お分かりになる方がいらっしゃいましたらコメント御願い致します。
(2010年8月新橋演舞場第一部)
もともと八月は、父の勘三郎や坂東三津五郎らが「納涼大歌舞伎」と銘打ち歌舞伎座を舞台に怪談狂言などを続けてきた。「歌舞伎座に代わり演舞場でも続けられるのはありがたい。父たちの納涼の魂を引き継いで、しっかりといい舞台を勤めなければ」と神妙に語る。(東京新聞:<歌舞伎>勘太郎“お岩”『夢に見た役』 『東海道四谷怪談』:伝統芸能(TOKYO Web))世代交代!若手による熱い舞台が八月演舞場で恒例になりそうですね。初役のお岩様、同じく初役の海老蔵の伊右衛門、この夏の暑気払いに最高です。
「子どものころから父の晩酌の相手をしながら、『六代目(菊五郎)のおじさんの丑松は本当にすばらしかった』と何度も聞かされました。戦争のころはお上からのお達しで、殺人犯の丑松は必ず捕まらなければならない演出だったそうです。花道で捕手に押し戻されて御用となる六代目の目が悔しさでキラキラ輝いていたと父は言います。父の中にも、自分の父(五代目福助)がやれなかった作品という思いがあるのではないか」と橋之助。(東京新聞:<歌舞伎>初演目前で死去 祖父の無念胸に『暗闇~』 中村橋之助が初役で丑松:伝統芸能(TOKYO Web))このお芝居も演出を変えてやらなければ出来なかったのですね。私は二代目松緑の丑松が好きでした。菊十郎が三助の役を生き生きと演じていて評判になりました。勿論辰之助と菊五郎のも見ています。橋之助が魅入られたように辰之助の丑松は男の憂い、一途な気持ち、内面の苦しさなどを表現して、素晴らしかったです。
年一回、大役を勤める「第十六回稚魚の会・歌舞伎会合同公演」が来月二十日から二十三日まで、東京・国立小劇場で行われる。今年の演目は「仮名手本忠臣蔵」の五、六、八段目。主役はいずれも梨園(りえん)の名家とは無縁の、同劇場歌舞伎俳優新人研修を終えるなどしてたたき上げてきた面々だ。(東京新聞:<歌舞伎>下積みの若手ら『仮名手本忠臣蔵』 お軽、勘平役の4役者に聞く:伝統芸能(TOKYO Web))歌舞伎の家に生まれた人は、子供の頃からいろんな刺激を受け、お稽古事も習い、下地がある訳ですが、彼等は大きくなって研修を受け努力して舞台に出ます。日頃は腰元や通行人などセリフもあまりないお役を務めていますが、この会の時は大役に挑戦することが出来ます。どんなに大変でも主役を演じるのはうれしいことです。彼等の晴れ舞台を是非見に行って頂きたいです。