近頃では珍しくなったこうした一本物の新作として、「いいとこ」のつまみ方がうまいのと足取りの良さ、それに幕が変わるごとに藤吉郎が出世してゆくのと共に、人物として大きく成長してゆく様子をうまく見せる菊五郎の芸とが、案配よく配合されている仕上がりの要領の良さに、菊五郎一流のバランス感覚がある。但し半面から言えば、エピソードの羅列であり、ドラマがないという批判も甘受せねばなるまい。
場面展開がスムーズで、場毎に成長していく藤吉郎がいきいきと描かれていました。
今月は昼は菊に吉が付き合い、夜は吉に菊が付き合うという、菊吉連合王国が皆々萬(ばん)歳(ぜい)を唱えるがごとき陣容なわけで、その意味では、吉右衛門の次郎左衛門、菊之助の八ッ橋に菊五郎が栄之丞を付き合うという『籠釣瓶』の方が一段とUNITED KINGDOMとしての実を挙げているともいえる。で、またこの栄之丞のスパイスがよく効いている。
菊之助の八つ橋を得てこのお芝居が身近に感じられた。三面記事のリアル感がありました。
今月の文楽は『信州川中島合戦』『桜鍔恨鮫鞘』『関取千両幟』とB級グルメのオンパレードの最後に、突如、『義経千本桜』のそれも「渡海屋・大物浦」という本膳が出るような、ふしぎな献立で、こうなると「大物浦」の、物語がすでに終わった後に延々と知盛の述懐と鎮魂のための件が続くのが、生理的苦痛のように感じられてしまう。歌舞伎の「大物浦」が、典侍局の件を少々犠牲にしてでも知盛入水を圧倒的な演出にして見せた知恵を改めて思わない訳には行かない。『靭猿』にしても、いたいけな子猿にしたところに歌舞伎の知恵があることに今度改めて気が付いた。文楽の猿は大猿であって、なるほど、あのぐらい大きい猿でなければ靭を作るには不足なわけだ(という理屈からどうしても離れられないのが、文楽と歌舞伎の違いの根本であろう。)(演劇評論家 上村以和於オフィシャルサイト)
文楽と歌舞伎の違い、比較すると面白いです。