第三部は玉三郎が座頭。俳優としての魅力はもちろんだが、芯に立つ役者としての統率力、透徹した美意識に対する信頼が、玉三郎の舞台を支えているのだろう。客席を熱い観客が埋めていた。
平成の世が閉じようとする今、人間の苦渋を、単なる台詞劇でもなく、歌い上げる人情劇にも終わらなかった。人間の生を全身で演じきる劇として『瞼の母』は成立していた。石川耕士演出。(長谷部浩の劇評 TheaterGoer Directory)