官女たちの声を聞き、花道の七三で「あれを聞いては」と振り返ります。今風にいうなら、「切れる」わけで、「疑着の相」になります。ここが一番大切だと思います。それまで、独吟があって長ぜりふがあって、ここでもうひと山くる感じがいたします。
「山科閑居(『仮名手本忠臣蔵』九段目)」の戸無瀬も、梅枝を小浪に使って演じたいですね。京都の南座での時蔵襲名披露(昭和56年12月)で、成駒屋のおじさんの戸無瀬、神谷町のおじさん(七世中村芝翫)のお石で小浪を勤めましたが、あんなに怖い舞台はありませんでした。そこに本当に加古川家、大星家という家を大事にしている戸無瀬とお石がいて、その二人が舞台上で火花を散らしていました。 芸とはこういうもの、これが女方の芸の行き着くところなのかと思いました。その後、私もお石を勤めましたが(平成24年3月新橋演舞場)、神谷町のおじさんのようにはなかなかできるものではありません。(ようこそ歌舞伎へ「中村時蔵」4/4 | 歌舞伎美人(かぶきびと))火花をちらす舞台、見てみたいです。