この実力が、より広く世に知られるためには、もう一つ殻を破ってもらいたい。例えば又五郎には、前半の「あら育てつる甲斐なや」前後により厳しく、より情愛深い表現を求めたい。例えば歌昇には、後半の獅子になって本舞台に来てから、長い合いの手の後に立ち上がる箇所などで、さらに息の詰んだ鋭い所作を求めたい。((評・舞台)国立劇場「6月歌舞伎鑑賞教室『連獅子』」 風格の又五郎、勢いの歌昇:朝日新聞デジタル)表現オーバーになると品が損なわれるので、押さえているように思われますが、見る側に伝えるにはもう少し出しても良いかもしれません。