2018年6月8日金曜日

渡辺保の劇評 2018年6月 歌舞伎座

そこへ出る松緑の鱶七は、三度目とあって歌舞伎座の大舞台に立派に収まり、 芸に余裕が出て生来の小顔に光彩が出て来た。茶碗を貸せといってもみんな知 らんぷりなのに、「ても呑気な内じゃなァ」というところは、初役のル・テア トル以来ユーモアが客席によく通じたところだが、今日もジワがきた。この役 は松緑の祖父二代目松緑の当たり芸でもあったが、その笑いの豪快さが祖父生 き写しである。
最近お祖父さんに似てきてうれしい。江戸っぽいお役も良く似合う。
菊五郎の悟助が、先月の「弁天小僧」に続いて、序幕花道を出た男伊達姿、 円熟した光彩を放つ錦絵の顔で、やっと大人の芝居に出会う。しかしいくら黙 阿弥でも他愛無い作品だから折角の菊五郎が勿体ないという気がする。(2018年5月歌舞伎座)
花道出て来ただけで雰囲気が漂うのは流石です。