2019年8月7日水曜日

中村芝翫と中村橋之助が 四世鶴屋南北の菩提寺・春慶寺を訪れ、 公演の成功を祈願しました

晩年、深川の黒船稲荷の境内に居を構えた南北は、文政12年(1829)11月に亡くなると、翌年1月、その葬儀が春慶寺で盛大に営まれました。黒船稲荷の居宅から春慶寺まで、裃をつけた役者衆の長い葬列が続き、参列した大勢の人々には竹皮に包まれた団子が振る舞われたと言われています。また、自らの葬儀をめでたい万歳に仕立てようと生前に書き上げた『寂光門松後万歳(しでのかどまつごまんざい)』の台本が配られたと伝えられています。祭壇の配置から和尚の読経のタイミング、棺桶から南北の死体が蘇って万歳を演じる趣向、そして施主の挨拶のセリフまで記され、念の入った筋書きだったと言われています。(【10月歌舞伎】中村芝翫と中村橋之助が四世鶴屋南北の菩提寺・春慶寺を訪れ、公演の成功を祈願しました | 国立劇場歌舞伎情報サイト | 独立行政法人 日本芸術文化振興会)
 深川の黒船稲荷
黒船稲荷神社(黒船稲荷神社)

春慶寺
都営浅草線 ・ 京成線 「押上駅」A2出口より徒歩 1分(春慶寺)