代々の鴈治郎には二枚目のイメージがありますので、「あんなん(あんな役)やって。鴈治郎のイメージではない」と思う人がいるかもしれません。 でも、上方の人情喜劇を作るのは、上方歌舞伎のレパートリーを増やしたいから。そのためにはなんでもやっていきたい、そう思っています。(【話の肖像画】歌舞伎俳優・中村鴈治郎(62)(18)上方歌舞伎に人情喜劇を(2/2ページ) - 産経ニュース)
妻のおばあさまは吾妻流宗家の初代吾妻徳穂さんで、その息子さんが歌舞伎俳優の天王寺屋のおじさん(五代目中村富十郎(とみじゅうろう))。妻にとっては伯父さんにあたる人。父ともよく共演していましたし、私も舞台でご一緒させていただいて教えを受けました。もともと妻とは幼なじみでしたし、そういうご縁の女性と結婚したのも運命でしょうね。(【話の肖像画】歌舞伎俳優・中村鴈治郎(62)(17)息子も私の母似かな(1/2ページ) - 産経ニュース)
親子逆転の配役は、30年の京都・南座の顔見世の「新口村(にのくちむら)」でも実現しました。このときは、父の忠兵衛、私が忠兵衛の老父、孫右衛門(まごえもん)、弟の(中村)扇雀(せんじゃく)が忠兵衛の恋人の梅川を勤めました。父が亡くなる少し前に、親子3人でこのお芝居が上演できたのはとても幸せなことでした。(【話の肖像画】歌舞伎俳優・中村鴈治郎(62)(16)幸せ感じた「親子3人芝居」(1/2ページ) - 産経ニュース)