紫派藤間流は一九八七年に創始、初世紫の死後は、夫の市川猿翁(えんおう)が二代目藤間紫となり名跡を預かっていた。猿翁が発表したコメントによると、初世紫は「孫の爽子が年頃を迎えた暁に、三代目家元として藤間紫を襲名させてほしい」が遺言だったとしている。 併せて爽子の兄貴彦が、猿翁から授かった藤間翔(かける)(初代)を名乗り、妹を支えるという。(孫・爽子が名跡継ぎ「三代目藤間紫」に 家元を継承:東京新聞 TOKYO Web)